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はねぎ搾りの酒蔵 吉田屋について

会社紹介

地域に根差して100年。南島原の酒蔵。

 合資会社吉田屋は、大正6年創業で100年以上の歴史があります。名水で知られる長崎県島原半島の南部に位置する南島原市有家町にあります。雲仙の伏流水が湧き出る自家井戸の水を仕込み水に使用して、東京農大花酵母研究会の花酵母を使って醪(もろみ)を仕込み、今では数少なくなった「はねぎ搾り」の製法で日本酒を造っております。全国でも数えるほどしか残っていない「はね木搾りの槽(ふね)」、大きな「はねぎ」と呼ばれる木を使って梃子の原理で醪に圧力を掛けてお酒を搾りだします。製造数量は90石と小さな酒蔵ですが、「だからこそ出来るこだわり」を大切にこれからも色んな事にチャレンジしてまいります。

 
はねぎ搾りの酒蔵 吉田屋/四代目蔵元  吉田 嘉明

はねぎ搾りの酒蔵 吉田屋/四代目蔵元

吉田 嘉明

酒蔵 吉田屋の伝統と歴史

沿革-吉田屋代々の記録より-

天保十四年

本家八代目児名幸重が本家相続致し家屋敷を受け取る。この時吉田幸助と改名。

文久三年

蝋絞り方始め

元治二年十一月

献金し殿様にじかに拝謁できる身分となる。

明治三年

五尺桶七本買い入れ、醤油仕込みを始める。

明治三年

同年長崎浦上村片岡市兵衛より酒造稼ぎ高百五十石譲り受け年来願望の酒造商売を始める。

明治七年

蝋商い方をしていたが、石炭油繁昌に付き蝋大下げに相成り商い方立ち兼ね候に付き当年より酒造思い立ち同年酒二十本程作る、清酒七十石。

明治十年

清酒百石。さらに年々増石。

明治十二年三月二十日

旧殿様 松平主殿守 旧知事公也 此の度九年振りに御帰国に相成り候に付きご機嫌伺いとして旧城下へ手酒樽一對献じ致し名札を上げ候処御酒料として金五十銭下され有り難く頂戴仕り申し候・・・・とある。

明治十二年四月十一日

旧知事公 午後一時三十分今夜御泊り申し参り直ちにふじ万端手筈致し大混雑いたし肴類これ無く大いに困り候得共色々手筈致し候御駕籠先にご案内いたし申し候。御入りの上御風呂相済み盃を出しご機嫌よく十一時まで御酒宴・・・・とある。

明治二十一年一月

本家九代目吉田千代吉が煙草製造を始める。

明治二十八年

「日清講和条約」締結を祝う記念巻き煙草「PEACE」(ピース)を発売。また、「八千代」と言う煙草の名称の登録商標を行う。
明治三十八年三月 煙草製造が政府の専売となり、煙草製造業は休業となる。「八千代」の商標は大正天皇のご即位記念に売り出され、譲り受けに来られる。煙草製造廃業の後、有家銀行(後の十八銀行に統合)を共同で起こしたり、紆余曲折を経る。

大正六年

本家九代目吉田千代吉が「酒造 吉田屋」を創業。初年度は300石造ったが一軒の得意先もなく殆ど全量持ち越した。

大正七年十一月

酒不足により値上がりし、2年分の在庫を売却して繁栄。酒蔵を新築して八年には600石、九年には900石余りを造る。

大正十一年一月

創業以来、千代吉と菊夫妻の名前から酒の銘柄を「千代菊」としていたが、すでに登録されていたため、名称を「萬勝」と変え、商標登録した。

昭和十九年十一月二十一日

10時10分、第二次世界大戦の空襲で爆弾の直撃を受けて酒蔵、住宅全てに損害を受ける。奇跡的に全壊を退き、修理の上、辛くも酒造を再開する。

昭和二十二年十一月一日

合資会社に組織替えを行う。第二次大戦後暫らく、有家の桜町で「八千代喫茶店」を開店・営業する。

 

プロフィール

会社概要

商号

合資会社吉田屋

資本金

10,000,000円

代表者

代表社員 吉田嘉明

設立

1914年

所在地

長崎市南島原市有家町山川785

連絡先

(代表電話)0957-82-2032 (FAX)0957-82-3084

事業内容

日本酒・リキュール・甘酒の製造・販売