我が家には12代前までの家系図が残っています。
先祖代々の歴史が刻まれた家系図で、1688年からの記録です。
ご興味がある方はごゆるりとご覧下さい。

 天保十四卯より山川名筆者役相勤し候、児名幸重(後に幸助と改名)十七歳也嘉永五子十一月本家相続致し候者これなくて、家屋敷受け取り候様申し聞かれ候に付き、有り難く存じ本家へ引越し申し候、この時吉田幸助と改名し仕り候。
 文久三年に蝋絞り方始め、元治二年十一月献金し殿様にじかに拝謁できる身分となる。
明治三年醤油作りを思い立ち、直ちに五尺桶七本買い入れ、醤油仕込みを始めた。同年長崎浦上村片岡市兵衛より酒造稼ぎ高百五十石譲り受け年来願望の酒造商売にも在り付き有り難き仕合せに存じ奉り候。
 明治七年まで蝋商い方をしていたが、石炭油繁昌に付き蝋大下げに相成り商い方立ち兼ね候に付き当年より酒造思い立ち同年酒二十本程作る、清酒七十石。
明治八年清酒八十石。
明治十年百石。・・・・・と年々増石している。
明治十二年三月二十日
旧殿様 松平主殿守 旧知事公也 此の度九年振りに御帰国に相成り候に付きご機嫌伺いとして旧城下へ手酒樽一對献じ致し名札を上げ候処御酒料として金五十銭下され有り難く頂戴仕り申し候・・・・とある。

明治十二年四月十一日 旧知事公 午後一時三十分今夜御泊り申し参り直ちにふじ万端手筈致し大混雑いたし肴類これ無く大いに困り候得共色々手筈致し候御駕籠先にご案内いたし申し候。御入りの上御風呂相済み盃を出しご機嫌よく十一時まで御酒宴・・・・とある。
この時の献立は御肴鉢盛にして
■いか糸引き
■御飯
■馬刀(まて)壱鉢
■御膳部
■平鶴蓋物入り
■汐鯨
■湯引き
■香の物

以上・・・とある。

明治二十一年一月ヨリ煙草製造致来リ居リ候処、
明治三十八年三月迄ニテ煙草製造政府ノ専売トナリテ引揚ケラレ候、煙草製造ニテ今日ノ生計ヲ営ミ居候処ヲ引揚ケニ付止ヲ得ス休業トナリ製造機器材ヲ片付ケル時ノ心ハ誠ニ以テ悲シクテ、父母ニ死別サレタヨリモ尚悲シク候・・・・・
 
明治二十八年には「日清講和条約」締結を祝う記念巻き煙草「PEACE」(ピース)を発売。

 

専売になる前まで「八千代」と言う煙草の名は吉田屋の登録商標だったそうです。その商標を大正天皇のご即位記念に売り出されるために譲り受けに来られたのだそうです。(この「八千代」の名は、第二次大戦後暫らく有家の桜町で「八千代喫茶店」として使われました。当時の看板を現在も「八千代喫茶店」の看板として使用しています。)

煙草製造廃業の後、有家銀行(後の十八銀行に統合)を共同で起こしたり、紆余曲折を経て、千代吉と嘉一は一緒に酒造業を始めている。

 

大正三年、外家の祖父大場亜左治殿が若いからと思って遊んでいては将来困るから何か家業を持て。酒屋も悪くはないから叔父の重三郎に付いて師事することにして祖父宅に来いと言われたので 酒は呑むなり、これ幸いと喜んで大正四年五年と酒造季節だけ行って指導を受けた。
父(千代吉)の許しさえあれば何とか経営できるような感じがした、加えて税務官史の検査振りを見てこれより確実な仕事はないと思い、父(千代吉)に相談した処、一時は反対であったが、後で祖父(大場亜左治)からとかれて「自分で確信があれば宜しい」と許してくれた。
 そのとき、肥後の甲佐に止められた300石位の酒屋が有ったので道具一切を350円で買った。それで、大正6年免許申請をしたら、6月21日付けで免許が降りた。初年度は300石造ったが一軒の得意先もなく殆ど全量持ち越した。 大正7年も360石造った。
大正7年5月頃学友の安東氏が大学を出て遊んでおると遊びに来た。それで色々と語るうちに「自分が手伝いする」と申すので大正7年9月24日佐世保市島瀬町の家を買い求めて支店を開店した。
7年11月頃より酒不足との事で、どんどん値上がりした。其の為2年分売却して儲かった。酒蔵を新築して8年には600石、9年には900石余り造った。
其の当時、酒造元は郡内で42軒有ったと思う。 その後再び不況に見舞われ私以後の免許者は殆ど廃業されたが、私は佐世保支店で売れるので非常に助かった。その後支店が整備されたので閉鎖した。
昭和19年11月21日10時10分第二次世界大戦の空襲で爆弾の直撃を受けて酒蔵、住宅全部損害を受けて苦しんだ、然し、修理の上何とか酒造は始めた。
昭和22年11月1日に合資会社に組織替えし現在に至る。大正6年造り酒屋創業当時は創業者千代吉と菊夫妻の名前から酒の銘柄を「千代菊」としていたそうですが、他に商標登録されていたため後に「萬勝」に変更されました。大正11年1月「萬勝」を商標登録する。

昭和19年の空襲で爆撃を受けた直後の写真。奥にある建物が酒蔵で、手前の建物が現在、八千代喫茶店として利用している座敷。 写真は菰樽に「千代菊」の銘柄が付いているのでまだ「萬勝」になる前のものです。