伝統の酒造りは、とても手間のかかる時代遅れの手法です。
その中でも私達【吉田屋】が、代々受け継いでいる
「撥ね木搾り(はねぎしぼり)」は非常に繊細な酒造りで、
日本国内でも「撥ね木搾り」を行うことができる酒蔵はわずかしか残っていません。

 

日本の酒づくりには様々な方法があります。昔から酒は「寒造り」と言い、寒い季節に造るのが品質的にも非常に良い酒が出来ます。そのため、1月頃には日本中の酒蔵は杜氏さんが最も忙しくなる時期です。早秋に仕込む酒よりも、より寒い季節に仕込む方が雑菌による汚染もなく、品質の良いお酒が出来るという意味もあります。今の時代は酒蔵の中の温度管理や衛生面も向上しているので、最新の工場などではあまり季節に左右されることなく酒造りをするようになりました。
 私達【吉田屋】では、伝統の技術【撥ね木搾り(はねきしぼり)】の技法を受け継いでいるため、季節にあわせて毎年11月より酒造りに入ります。その年によって米の出来も違いますから、温度・湿度にも気を使いながら仕上げていきます。私自身が酒造りの全ての工程を行うため大量生産をせずに当酒蔵の酒をすべて作り上げます。さすがにこの時期の6ヶ月の間に重労働で一気に体重も減ってしまいます。

蔵元、吉田嘉明です。

蔵元、吉田嘉明です。

 

 さて、撥ね木搾りという技法ですが、てこの原理を応用した圧搾による酒搾りの方法で、巨大な一本の木(約8メートル)を天井からつるし、その重みとてこの原理によって微妙な圧力をかけて丁寧に搾り上げます。
その製法ですが、簡単に説明いたしますと、まず酒袋にもろみ(発酵したお酒のもと)をつめて、槽(ふね)と呼ばれる大きな枠の中に敷き並べます。その上から蓋をし、巨木(撥ね木)を使って圧力を掛けて搾り出します。

この大きな木が撥ね木と呼ばれます。

この大きな木が撥ね木と呼ばれます。

 

この巨木(撥ね木)をうまくコントロールしながらもろみを搾りだしていく作業には大きな阿弥陀車を使いますが、この作業も当然ながら手作業。圧力のかかり具合をじっくり見ながら少しずつ調整します。機械やコンピューターなど一切使いませんから、職人としても最も緊張する瞬間でもあります。さらに1トンもの重石を乗せ、じっくりと搾り出される原酒は独特なふくよかな味わいとなっていきます。この方法は吉田屋が創立した大正6年からはじまりましたが、時代の流れと共に一度は途絶えていましたが、1 0年程前に復活させた方法です。

撥ね木をコントロールするのも手作業。ロープ一本で滑車を動かします。

撥ね木をコントロールするのも手作業。ロープ一本で滑車を動かします。

 
そして、搾り出された搾りたての日本酒は、大きなタンクの中に貯蔵されて一定期間熟成されます。温度を一定に保ち、お酒をさらに育て上げるのが大切な仕事です。
現在の日本酒の製法の多くは、機械によって自動圧搾されていますが吉田屋では昔からのこの【撥ね木搾り】を守り続けています。
この方法によって作られる日本酒は、機械による搾りとは違い、とてもまろやかな、そしてゆくよかな味わいになります。昔から伝わる伝統と技術をいつまでも守り続け伝えていきたいと思います。
 

 
この樽は昭和42年まで使われていた昔の木桶です。酒母用で、奥の大きいほうが醪用でしょうか? これも吉田屋の歴史のひとつです。その当時の杜氏さんたちの姿が目に浮かぶようです。
 
 
この撥ね木搾りという方法は、酒造り・酒蔵経営においては極めて効率の悪い方法です。機械で搾らないために完全に搾りきることが出来ませんし、手間と時間がかかってしまうため、この手法は現在の日本にはわずかしか残っていません。しかし、「搾りきらない」ことによって、最後に残る嫌な味を搾り出さず、「純」な味わいの酒が生まれてくるのです。また「手間」という目に見えない力と愛情が一杯の酒に注がれているからこその味わいも楽しんで頂ければ幸いです。
この部分に圧力がかかります。

この部分に圧力がかかります。

現在は、製造数量が極端に減ってきていますので殆どこの大きなタンクは使っていません。昭和30年代後半から40年代前半に木桶から琺瑯タンクへと代わりました。

現在は、製造数量が極端に減ってきていますので殆どこの大きなタンクは使っていません。昭和30年代後半から40年代前半に木桶から琺瑯タンクへと代わりました。